成功の代償に。「女であること」への罪悪感は、誰から仕込まれ、どう終えていくか

女であることに罪悪感を持ちやすい記事の象徴画像。 母親との関係改善

「女の自分」を否定した、家庭内の奴隷構造

わたしは、幼少期から自分が女として生まれてきたことを後悔し、
女であることに強い罪悪感を抱いてきました。

理由として挙げられることは数多くありますが、
以下などが思い当たります。

  • 家の手伝いや弟たちの面倒を頼られて不自由さを感じたこと
  • 母親を受け容れ、認め、許す役割を期待され応えることに負担を感じたこと
  • 母親から、父が第一子のわたしが女であることをがっかりしていたと聞かされて、
    幻滅させてしまった、と信じたこと、

また、家の中は父親が圧倒的に一番「偉い」立場で、
母親は、まるで奴隷のようにただ働いているように
わたしにはみえていたのです。

父親は、なぜか家にほとんどおらず、
家にいる時は自分の好きな時間に起き、好きなことをして、
家事も育児も一切することなく、わたしたちがなにをしていても、
父親の気分、機嫌次第で家のことは決まっていきました。

食事の時間から、旅行に行く日時と場所、
買う車、わたしたちが話し合っていたとしても
父親の一言でまったく違うものに変わりました。

お風呂や食事は一番最初に済ませ、
テレビを観ては、好きな時間に寝る、と。
母も祖母も父親の世話が第一優先のようにみえました。

わたしは幼少期に父と母が会話しているところはみたことがなく、
両親の笑顔もみたことがありません。

父親として外で稼ぎ、長男として実家に住み、
法事などでの役割を果たすことで、
どんなことも許されているように
わたしにはみえていました。

母親には人権はなく、家事、育児に追われ、
ひたすらこなしているようにみえました。

その中で、わたしは女に生まれたことに恐怖を感じ、
父親のように働き外で稼ぐ人になろう、
父親に認められ、父親の仲間入りをしようと決めたのでした。

頑張っても無価値。「男になろう」とした絶望と嫉妬

父親に認められれば、
自分の時間が与えられ、許される。

けれど、結婚をして仕事をしなければ
母親のように酷使されて孤立して、
いつも不平不満を抱えながら
家の中に閉じ込められる。

そう思い、仕事を続けて、
絶対に結婚はしたくないと思っていました。


弟が生まれた時は、
弟はとても喜ばれて「長男、長男」と
もてはやされていて
その姿が焼き付いていて、
わたしはどれほど頑張っても
認められることや必要とされることは無理だと思いながら、
それでも父親に認められたい一心で必死でいました。

弟に対しても嫉妬を抱き、
わたしがどれほど努力をしてもなれない
「長男」「男」に、
あっさりと何の努力もなくそうなっている。

許せない気もちで
いっぱいになっていたものでした。

家の手伝いや、弟たちの世話をして
どれほど身を削っても男のようには認められない、
男のようには価値を感じてもらえない、
そんな強い劣等感を持たされていたことに
わたしは気づいていませんでした。

これらの、女の自分への後悔や拒絶、
男性に対しての嫉妬や憎悪はどんどんと膨らみ
自分を支配していきました。

気がついたら「女性が苦手」「男性には負けたくない」と思っていたのです。
「なぜ、わたしは女友だちもいて、仲よく楽しくやっていて
ケンカも嫌な思いも大してしたことがないのに、
女性が苦手だと思っているのだろう?」と
心あたりのなさを不思議に思っていたくらいです。

男性には負けたくなく、恋愛をしても
好きな人に好きだと伝えることを、
「負けること、弱みをみせること」だと思い、
中学生の頃から恋愛はうまくいきませんでした。

「個人の資質」より「構造」が生んだ苦痛

これは個人的な体験ではあり、
わたし個人の資質も大きく影響してくるものの、
でも、社会的にはよくある図式です。

家父長制の中で、父親がすべて決める、
父親に従うことがあたり前になっていて、
子どもである自分は「ただ従うこと」が生きることになり
、能動的に動くことは危険だと身に刻むこと。

誰か一人に圧倒的な権力があり、
自分は無力で無価値で、力ある存在から与えられて生きるものと信じ、
人間関係には上下があり、存在には優劣がある、
などと信じ、それらを受け容れるために

自分を否定し続けることを
多くの人が経験していると思います。

絶望からの脱却:女としての強大なエネルギーの発見

わたし自身、子どもの頃から
「愛し合う男女がみたい」とずっと願っていました。

シンデレラや白雪姫などをみても、
結婚をしてその先が描かれてないため、
いつもその先が知りたかったのです。

わたしが生きているここは結婚をした、その先の毎日です。
「王子様とお姫様」が結ばれた、
その先で愛がある暮らしをみたくて仕方がありませんでした。

しいて言えば、日本昔話のような、
言葉を交わさずお互いを汲み合い察し合い、
朗らかに日々を暮らしているおじいさんとおばあさんには、
年月を積み重ねたからこそ生まれる空気感に
惹かれていたところはありました。

子どもに向けた、「王子様とお姫様」が結ばれるストーリーには、
あまりに現実味を感じず、これをみてどう思えばいいのかわからず
戸惑ったところがありました。

そうして、自分が惹かれるモデルを見つけることもできず、
女の自分を拒絶しながら、男性を恨みながら年を重ね、
出産という場面でわたしは女の自分を受け入れることを決意しました。

家族の中で体験させられてきて、
自分が信じてきたことがまちがいであったと気がついたのです。

女は不自由ではなく、女は劣った存在ではない。
強く大きなエネルギーを持っていることを身をもって知ったのです。

こちらで詳しく書いています。
なぜ、わたしは女を選んで生まれてきたのか。「女性の許す力」に地球の未来を賭けて。

愛を感じた性:恨みと憎悪を許すことの衝撃

それから数年して、男性と愛を感じられるセックスをして、
わたしは男性に抱いてきた嫉妬や憎悪のすべてを許そう、
という気もちになりました。

「許そう」というのは、
わたしがみて、わたしが信じて、自分を傷つけてきたこと、
そのすべての痛みは自分の責任だと
引き受けることを意味していました。

誰かのせいにしていつまでも怒り続けていること、
それは自分を忘れ、自分を失くし、
自分が一番傷ついていることだと感じてしまったのです。

それほど、男性から愛を感じる、ということは
わたしにとって衝撃的なことでした。

子どもの頃から、男性は特別に優遇されていて、
いつも有利で、劣性の女のことをあざ笑っているんだという
被害者意識を持っていたので、

どんなに真心をこめて接してもらっていたとしても、
わたしはずっと受けとることができなかったのです。

出産をし、「女の自分」を被害者という立場から抜け出すことを決め、
息子を育てながら、「男の子」の優しさや繊細さに触れて、
大切なことを思い出す中で、
初めて男性の愛を感じられたのだと思います。

男性に対して勝つこと、認められることを望んでいたわけではなく、
愛して、愛されて、愛し合うことを望んでいたのだと
本来の願いに触れたのでしょう。

許そう、受け容れようと決めたのです。

男性から、自分の存在をそのまま大きく受け入れられること、
自分は女性として、大切な存在であっていい、
女としての魅力を表現していいのだと伝えられることは、
大きな自信と安心につながり、生きる力が湧き、
性的に満たされることが、いかに大事なことか実感をしました。

父親が教えてくれた、権力という名の「孤独と被害」

父親をみていても、孤立をしていて孤独で決して
幸せな人と感じたことはありませんでした。

長男という役割で子どもの頃から求められて、
認められて、「自分」を出すことなどできなかったし、
将来も決められたものを

自分で選んだかのように
言い聞かせていたことはよくわかります。

長男として注目され、大事にされて、特別な存在と思わされて、
人を思い遣ることや優しくすることを教わらなかったためか、
母親といい人間関係が築けずに、
母親に嫌われて最期まで心を通わせることはなかったのです。

父や、弟たちは、家父長制の被害者でもあります。

自分の中にある隠された「母親の恨み」

わたし自身も、父親に愛されることはとうに諦めて、
父親と同じように高学歴で、同じ業界の上場企業に就職をし、
父親に喜んでもらえることで、自分の存在に安心をして、
一方では、わたしの中には父親への恨みや憎しみを多く抱えていました。

この恨みや憎しみは、母親の感情でもありますが、
わたしにはずっと区別がついていませんでした。

母親が夫(わたしの父親)に抱えていたものや
父親、兄たちに感じていた多くの感情を
わたしは自分のものだと勘違いして抱えていたのです。


父親は、わたしの成人のお祝いにと
「アクセサリーボックス」をふたつプレゼントしてくれたものの、
わたしは、ただ大きく混乱したものでした。

「この人は、わたしが女であることに幻滅し、
わたしは許されていないし、認められるはずがないのに、なんで??」と。

表面的には仲よくしていたものの、
家の中では独裁者のようにみえていた父親は、
決して自分の存在を認めてくれている人ではないと深く諦めており、
父親の想いはわたしにはまったく届いていませんでした。

父親から、異性として大事にされる存在であることや、
自分を生きて、自分の人生の責任をとるための強さを
引き出してもらうこと叶いませんでしたが、

その役割は父親である必要はなく、
本当に愛をもって接してくれる人がいれば十分なのです。

わたしたちは、過去からの多くの体験や感情を身体に抱えていて、
父親や母親に理解され、受け容れられたいと
いつまでも願っているものです。

しかし、願いながらも諦めているため、
自分はどれほど成功を果たしたとしても
満たされたり幸せを実感することは難しいのです。

わたしは、初めて男性から
存在のそのままを受け容れられて、
女性として大切にされていい存在であることを伝えられました。

そのことで、それまでの人生に起きたことのすべてを許し、
諦めていたことを、もう一度信じてみようという力が湧いてきたのです。


後から、その男性は、
「女性はセックスで傷つく経験をたくさんしていて、
その傷つく前の自分に戻れないと諦めているから
その諦めを信頼に戻すために自分のセックスはある」
と話してくれました。

そして、「女性は本来とても強く、出産ということができるわけで、
その強く信頼している自分を思い出して欲しい」という意図で
女性とセックスをしている、とも話してくれました。

わたしはその真心を受けとり、自分を取り戻す力がわきました。

「性」を受け容れることは生命力が蘇ること

性欲は、食欲、睡眠欲と共に「三大欲」の人としての大事な本能。

その性を否定していることは、
人としての生命力を大きく削ぐものでした。

自分の性も、異性の性も認めることで
生命力が自分に蘇ってくるものです。

わたしたちが気づいたら抱えていた心身の痛みが、
決して「あなた個人の甘え」や「資質の問題」ではないことを、
理解していただけましたか。

女という存在への罪悪感は、
過去の家庭構造と、社会的なシステムの代償です。

次に必要なのは、
「あなたの人生を再設計するための戦略」です。

重い心の扉を開き、流れを変える90分

自分がなにをどう感じて、どう思って、どう考えているのか。
なにを信じて、なにをやってきたのかを
一人で理解するには、時間とエネルギーが必要です。

どんなことでも、思いのままに吐き出して、
自分の中から分離することが、次のステージへの第一歩です。

単発セッションは、あなたの心が長年ずっと思っていたけれど
飲み込んできたことや、あたり前にしてきたことを慈しみ、
軽く温かい自分を取り戻すための再起動になる時間です。

▼まずは、自分の思いに言葉を与えてください。思ってきたことには、価値があります。
【心の棚卸し】複雑になってしまった心と思考を一時停止して自分を整える単発セッション (90分)


▼自分と向き合うことは孤独を感じたり、「逃げたい」「やめたい」「忘れたい」と
 いろいろ思うもので、疲れた時には、休むことも大切。
 わたし自身の失敗や情けない話を綴っているので、遊びにきてください。

【アメブロ】障がい女のメンタルトレーニング日記

 

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