「わたしは性的に異常なんだ」と自分に幻滅してきた。でも、それはまったくの的外れだった理由。

女性の性的な心の傷を癒すようなガラスの画像です 母親との関係改善

ほんとうは、心が健全に反応していただけ

セックスをすることや
男性に対して、強い強い警戒心や
嫌悪感を抱いているかもしれないあなたへ

わたしのように、気がついたら、
セックスをすることが屈辱的で自分が許せない、とか
実は、男性に対して不信感が強くあるんだって

そんな痛みを抱えている女性は多いと思います。

なんで、心の傷を持つことになったのかって、
それは、ただ、親の影響なんです。

「あの男のせいだ」って、
思い浮かぶ男性がいるかもしれないけれど

でも、その男性に出会う前に
親に信じこまされてしまったことがあるんです。

子どもの頃に守られるべき境界が失われたとき、心に何が起きるのか

例えば、こんな女性がいます。

彼女は子どもの頃から
いつも父親が着替えるところをみていました。

父親は、風呂をでたら裸のままで居間に来て
居間で着替えていている。

下半身はそのままで、
必ず居間で着替えていて、

彼女はその姿をみていて
ずっと嫌な気もちがしていました。

気もちわるい。なんなんだあれは。
怖さもあるし、気になる気持ちも
複雑に入り混じって。
気になるけど、みたくない。
気もちがわるいし、どうしても気もちがわるいし、
見たくないのに目に入ってしまう、
その嫌悪感はくり返し心に残ったのです。


とにかく、ものすごく嫌な気もち。

でも、小さな女の子にとって
大人の男性器が怖いとか気もちわるいと
感じることは、とても健全な反応です。

それなのに、この、気もちわるくて嫌っていう気もちに
なってしまうことは、
とてもダメなことだと思い、

なんて、わたしはダメなんだろう

と、ずっと思っていたのです。

自分がわるいんだ、おかしいんだと
ずっと思い続けて
ずっと誰にも言えなくて、
ひとりで抱えこんでしまいました。
嫌な気もちがしたことは
健全な反応だったのに、

ひとりで自分を責めて、
ひとりで自分をわるものにして
ただただ、ひとりで受け入れてきました。

そして、父親が配慮せずに裸をみせ続けることで
彼女は「わたしは、嫌なものを見せつけられる人間なんだ」と
信じ込んでしまいました。

なんて、配慮がされない人間なんだろう。
この気分がわるくて、哀しい気もちは
誰にとっても「ないもの」とされてしまったのです。

彼女はどんどん自分はわるい人間だと信じて

こんな気もちを抱いたことが見つかることに
不安になります。

ごちゃごちゃぬかしたら、
ぶっころされるだけで

「お前の分際で、えらそうなこと言ってんじゃない」って
言われて、

「文句があるなら、出ていけ」って
言われて終わるんだ、、

ほんとうは「ない」はずのものを
わたしは「もっている」のだから
わたしは、絶対にこれを隠さなければ
生きる資格を奪われてしまう。


彼女は、
自分のことをわがままで、

「気もちわるい」って思うなんて、
わたしは、本当に余計なことばかり思って、
ろくでもない人なんだな、と

信じ続けます。

こんなふうに、
性を受け入れる準備ができていない年齢で
突然、性が侵入してきたのだから、
「気もちわるい」「怖い」と感じるのは
正しい防衛反応であったにも関わらず、

それを、わがままだ、余計なことだ、
ろくでもないことだ、と思って、
自己否定がどんどん進んで
心は疲れ張っていきます。

彼女の心が、
どんどん壊れていくことを
誰も知りません。

適切な距離を知らないまま育ち、愛着と境界が混線して

彼女は小さい頃から

家の中に無造作に置かれている
アダルトな写真やイラストが描いてある新聞や
官能小説をよく目にしていて、

両親の性的な行為をしているところを
何度もみて

子どもの世界に入ってきてはいけないものが
どんどん入ってくる環境に育っていました。

境界の感覚が崩れてしまうことがあります。

彼女は、身体の感覚も異常になってしまって、
危険なのか、安全なのかの判断もつかなくなり
異性への警戒心も嫌悪感も、ずっと抱くことになりました。


例えば、彼女が小学校5年生の時に
「娘も年頃だからな(ちゃんと隠そう)」と言って
父親が腰にタオルを巻いてきた時も
彼女の心は複雑でした。


「あぁ、一応わたしは配慮はしてもらえるんだ」と
安心をしたものの

「隠されてしまって、なんだか距離ができて寂しい」
と感じたのです。

そんな、父親の性器を隠されて寂しいと思うなんて、
自分の気もちに戸惑い、自分が異常者なのではないかと
ものすごく怖くなります。

「こんなこと、ふつう思わないでしょ?!」
「なんで、わたしはこんなことを思ってしまったんだろう。」
「わたしって、ものすごく気もちわるくて
異常な人間なんだわ。」

「あぁ、、最低。
そりゃ、粗末にされるわけだよ。あたり前だよね」

と、納得してしまいました。

安心をする反応は正常だし、

「寂しい」と感じたのも
異常だったからではないんです。

それまでに境界線が壊されて
侵入されて距離が近すぎたから

多少、適正な距離に戻った時に
関係のカタチが変わって混乱しただけで
当然の心の仕組みが働いただけ。


彼女は、
「わたしは、嫌な気もちにさせられて
侵略される人間なんだ」と信じてきたから
配慮されて、自分がわからなくなった。

「自分の存在には無頓着で、侵害されて、
 不快な思いを我慢していること」が、
「愛されている証」だったから、

「え、わたしって、なに?どんな人間なの?」
「あれ?愛されなくなった?わたし大丈夫?」

と、自分と愛を失って、混乱したんです。


こうして、なにも彼女はわるくないし、
おかしくないけれど、
自分をわるいと責め続けて思い続け、

さらに、もう一度自分を否定するために
自分のことを性的な異常者だと信じる
ことになってしまったのです。


この女性が、
男性への嫌悪感もあれば
自分への不信感も強くて、
セックスは嫌だと思うことは当然。

彼女は大人になる前から
性的に嫌な思いをすることは
決まっていたというわけなんです。

現に、小学6年生の時に、
電車の中で下半身を出したオジサンが
目の前に現れても、
彼女は動けませんでした。

次の駅までの15分間ずっと立ちつくし
怖くて、気もちがわるくて、
我慢する時間をずっと過ごしていたのです。

そうして我慢をすることが
自分らしいことだし、
怖くて気もちわるいと思ったら
家を追い出されると信じていたのですから
どんなに怖くても逃げることも助けを呼ぶことも
できなかったのです。

その後に、チカンに遭っても、
誰とセックスしても
性的な嫌な思いをして、

その時に嫌だ、ツラい、苦しい、寂しいって
いろんなことを思っても
その前から決まっていたんです。

もちろん、彼女は知らなかったですけど。

このように、

もう、生まれてこなければよかった、
だから女なんて嫌なんだよ、もうやだ、、、

と、人生の中で
何度も怖くて、吐きそうな思いを
何度も食いつぶして飲み込む人生は、

幼稚園生の時から始まっていて
ずっとくり返していたのでした。


そして、少し希望をもてることとして
言えることがあります。

それは、自分がわるいと責めながらも、
当然、そんな粗末な扱いをされて
屈辱的だって腹を立ていたこと。

自分はわるいと自分を責めつつも
でも、そんな扱いをされる筋合いはないって、
どこかでは、わかってる。

子どもはわかってる。

健全だから、知っているんです。

哀しくて、寂しくて、
ただ、我慢するだけの存在じゃない。

だから、わたしたちは、
ただ元々の健全さを
取り戻すべき存在なんです。

本来、なにひとつ「わるさ」がないわたしたち


さて。この女性は、わたしなんですけれど

残念な父親でしょう?

そして、そんな父親に一言も何も言わないのって
母親も、おかしいでしょう。

母親が、おかしいでしょう。

おかしいんです。

「娘がいるから、やめてよ」って
自分の夫に注意すべきだし、
娘が物心つく前には、やめさせておくこと。

仲がわるくて、話せないのだけれど、

話せなくても、

居間に夫の下着やパジャマの
収納ケースを置いていたのは母親で

下着だけでも脱衣所に置いておけばいいだけの
ことですから、いくらでも配慮はできます。

娘がどんなに嫌な気もちになるか
気づかない、わからない、
放っておいたということは、

母親も共犯というか、
むしろ、主犯。

小学5年生の時に「娘も年頃だから」って
父親が配慮しても、
もう、手遅れで彼女はますます自分に幻滅して、
否定をして、ずっと自分を監視しながら
生きていくことになったんです。

ということで、
わたしは、ずっといい男女関係が築けないし、
性的に不快な思いをする体験や
後悔するセックスをくり返してきました。

過去を見つめて、自分を取り戻す一歩が始まる

わたしは、なにも悪くなくて
ほんとうに、いい迷惑をかけられたと思っています。

だから、母親には、セックス見せられて
どれだけ辛かったのか、どんな想いしてきたのか
手紙でも電話でも会っても怒ったし

「ふざけるなよ!!」って
母親にはさんざん伝えました。

父親は亡くなっていたから
直接は伝えられなかったけれど
一人で怒鳴り散らして
泣き叫んで、できる限り発散しました。


でも、

わたしは悪くない!
わたしは被害者だ!

悪いのは毒親だー!って

いつまでも腹を立てつづけていても
仕方がない。


わたしは悪くないって
それは、確かにそう。

ずっと、わたしは悪くないことを

認めさせたくて、許されたくて、
ずっと根に持って、

底意地のわるい
ただの感じわるいおばさんになっても
誰にも相手にされなくなるだけ。

自分のために
ケアした方がいいんだよね。


これから、
まともな感性で、まともな恋をしたり、
いい男女関係を築いて、いいセックスしたり、
いい子育てしたり、いい仕事したり、
願いを叶えて充実した人生おくるために

やることが、いっぱいある。

どうでもいい罪悪感や劣等感にまみれて、
自分を疑って、ひねくれて

それを隠していい人のフリして、

そんな自分を維持している余裕なんてない。

合わせてきた自分も
つくられた自分も、
癒して、認めて、許されて、
その先へ。


自分なりのしあわせや
自分なりの満たされた時間を
自分の人生に招くかどうか決められるのは自分だけです。

ぜひ、あなたの話を聴かせてください。
https://sakinaoshi.com/menu/


わたし自身が取り組んでるメンタルトレーニングや日常について
https://ameblo.jp/love-innerchild/

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